拒食症になった人は、多分知らない人はいない「カーペンターズ」のボーカルの女性。
彼女の名前は、カレン・アン・カーペンター
彼女は長年の拒食症によって、わずか32年と短い生涯で終わってしまいました。
カーペンターズの代表曲といえば
「Yesterday Once More」
「close to you」
「TOP OF THE WORLD」
など、誰もがどこかで聞いたことがありますよね?
カレンが亡くなって数十年たっても、幅広い世代に愛されています。
私が初めてカーペンターズを知ったのは、まだ小学生の時。
中学生になって英語を勉強するようになった時に「カーペンター」が「大工」という意味と知って
「カーペンターズ」って「大工たち」って意味で、大工さんが副業で歌っているのだと思っていました(笑)
本当なら「ザ・カーペンターズ」が正しいみたいです。
でも、「カーペンターズ」の方がかっこいいと思ったから、「ザ」は付けなかったみたいですよ。
だからまさに「カーペンターズ」という意味を訳すなら、「大工たち」という意味になっている(笑)
そんな世界的に有名で、幅広い世代に親しまれているカーペンターズ。
ボーカルのカレンに一体何があったのでしょうか。
この記事で分かる事
カレンはどんな人?
なぜカレンは拒食症になったのか?
拒食症の私が思うカレンが拒食症になった原因
本当に拒食症が原因で亡くなったのか?
少なくともカレンは、拒食症になりたくてなったわけではありません。
拒食症の人は、彼女が感じていた気持ちに共感する点も多いと思います。
私も拒食症(摂食障害)を患って約20年です。
だから彼女がどれだけしんどくても、どれだけ自分が生きるために必死で頑張っていたのかという思いが少しは分かる気がします。
彼女のように命を危険にさらす拒食症の人が増えない事を祈りながら書いていきます。
目次
カーペンターズとは?
カーペンターズは、兄妹の2人で結成(1969年4月22日)されています。
兄 リチャード・リン・カーペンター(1946年10月15日)
妹 カレン・アン・カーペンター(1950年3月2日~1983年2月4日32歳)
私がカーペンターズを知ったのは、小学生の頃。
その頃には、もうカレンさんはお亡くなりになっていました。
(というのを知ったのは、私が大学生になってからですが…)
知ったきっかけは、私が小学生の頃に習っていたフィギュアスケートです。
振り付けなどで、カーペンターズの曲を使っていたのでよく覚えています。
中学生の時も、何かの時間に毎回カーペンターズの曲が流れていたこともあり、私にとっては親しみのあるアーティストになっています。
カーペンターズのお二人は
アメリカ合衆国コネチカット州のニューヘイヴン出身
その後1963年、カレンが13歳の頃にロサンゼルス郊外へ移り住んだ。
リチャードは物静かな子どもで、ピアノを弾いたり音楽を聴くのが好きだったようだ。
対してカレンは、室内で遊ぶことも好きだが、おてんば娘という感じだった。
2人に共通するのは音楽が好きという事。
カレンとリチャードが一緒に人前で演奏したのは、ロスに移り住んでから。
リチャードが近所の公園のコンサートでピアノを弾くことになった時に、彼に促されてスキータ・デイヴィスのヒット曲「この世の果てまで」をカレンが歌った。
その後、リチャードが音楽で才能を開花したのを機に、カレンもドラムに興味を持ち始めた。
しかしカレンは、あまり物事が続かない子で、サックスやフルートにも挑戦していたが挫折してしまっていた。
だから、家族全員あまり期待はしていなかった。
そんな家族の想いとは裏腹に、カレンはドラムに没頭。
カレンのドラマーとしての素質が開花した。
≪カレンのドラムは、どのくらいの腕前?≫
「Yesterday Once More」の曲って、実は前半と後半で編集して繋げられているみたいなんです。
リズムに寸分の狂いがあるだけで、曲調が変になって編集したのが分かってしまうみたいなのですが、カレンは寸分の狂いもなく演奏。
見事に前半と後半が何の違和感もなく繋がったそうです。
本人たちにも、分からないくらいに。
カレンは、ドラムと共にボイストレーニングも受け始める。
あなたも感じていると思いますが、カレンの歌声はとても素敵です。
教えてもらっている先生からも「あなたには、何も教えるものはない」と言われるほど素晴らしいものでした。
初めカレンはドラムとボーカルを兼任していたが、やがてリチャードに言われてボーカルのみで活動をするようになった。
理由は、カレンはタムの多いドラムが好きで ”観客からは見えにくい” というのもあるようだ。
≪タムとは≫
写真の真ん中のある太鼓の事。
中音域の出る太鼓のことで、よくドラマーの真ん中に設置されいる太鼓の事。
タムタム(ハイタム、ロータム)、フロアタム、まれにロートタムが使われます。
ボーカルとしてセンターに立つのは抵抗があったみたい
カーペンターズのカレンは拒食症が原因で亡くなった!?
私がカレンが亡くなっている事を知ったのは、大学時代。
私もカレンと同じ拒食症で、その時が私の一番体重が低い時でした。
なにで知ったかは忘れましたが「カーペンターズのカレンが拒食症で亡くなった」と知ったことがきっかけで、改めてカーペンターズを深く知った記憶があります。
カーペンターズ・カレンの死因
直接的な死因は「急性心不全」でした。
残念なことに32歳という若さで亡くなりました。
拒食症の方には安心してもらいたいのですが、拒食症が原因ではありますが、拒食症だから心不全になったわけではありません。
カレンの日々の生活が心臓に大きく負担をかけている生活をしていたから、急性心不全になったんです。
心不全を引き起こす人は、一般的にもう少し上の年代の病気です。
≪急性心不全とは≫
心臓には全身に血液を送り出すポンプの役割があり、1分間に60~80回、1日にすると10万回以上にわたり拍動して血液を身体に送り出し続けている。
心臓はそのほとんどが心筋と呼ばれる筋肉で作られており、だいたいこぶしぐらいの大きさで重さは300g弱である。
心不全とは心臓の動きや機能に異常が生じて、ポンプの役割を果たせなくなって息が切れたり、むくみが起こったりして、それがだんだん悪化して命に関わる状態へ向かう病気である。
痩せる代償として、カレンが下剤や甲状腺ホルモン錠剤を乱用していたことが、心臓に負担をずっとかけていて耐えきれなくなった結果、急性心不全になったと思われます。
下剤は、体内の食べ物を外へ出す役割をします。
甲状腺の薬は体の代謝をよくする役割があり、痩せると言われているようです。
カレンの拒食症の始まり?
はっきりとは分かりませんが、恐らく1974年や1975年あたりでしょう。
私も、拒食症とか過食症になった日が「この日!」っていう日はないです。
ダイエットを始めて、徐々に痩せていって、気が付いたら拒食症になっていたという感じ。
元々カレンは16歳の頃に1日に2ℓの水を飲む事で、基礎代謝の向上などを促して、体質改善をはかるダイエットで10㎏程痩せた事があります。
カレンもこの頃から自分の体型について気にしていたようなので、きっと同じような感じで拒食症になったのだと思います。
そもそも拒食症って?
神経性食欲不振症、神経性食思不振症、思春期やせ症とも言います。
簡単に言うと「食べたくても食べられない人」の事。
って言ったら拒食症の人に怒られそうなので、きちんと説明します。
≪拒食症とは≫
摂食障害には食事をほとんどとらなくなってしまう拒食症、極端に大量に食べてしまう過食症があります。
拒食症では、食事量が減る、低カロリーのものしか食べないことから体重が極端に減る、やせて生理がこなくなるといった症状があります。
過食症は、いったん食べ始めるとやめられない、むちゃ食いしては吐く、食べすぎたことを後悔し、憂うつになるなどの症状がみられます。
拒食症から、過食症になることもあります。
「やせたい」という強い思いがあるため、本人はなかなか治療したがりません。
しかし、低栄養から様々な体の不調につながり、死に至ることもある病気ですから、治療の重要性を伝えることが必要です。
摂食障害は、様々なストレスが要因となっていることも多く、周囲の人の理解やサポートがとても大切です。(厚生労働省)
拒食症と過食症を合わせて、摂食障害と呼ばれています。
女性に多いですが、男性でもなります。
拒食症になる傾向の性格の人は
- 完璧主義
- まじめ
- いい子
- 繊細
- 優しい
- 自己評価がすごく低い
- 他人の評価を気にしすぎる
というような傾向が強い人が、なりやすいと言われています。
単に行き過ぎたダイエットでも、かまってちゃんでも、可愛く見せよう、というものではありません。
もちろん「痩せて綺麗になりたい!」という気持ちも拒食症の人にはあるでしょうが、そんな単純な理由で食べられないのではないのです。
拒食症になったことが無い人は「食べたいなら食べればいいじゃん!」って思うでしょうが、それが出来たら食べる時にこんなにも心が苦しくなりません。
拒食症の人たちは、毎食毎食命がけで食べてるんです!
と言ってもいいくらい、食べることがしんどいんです。
「食べなくても生きられたら、もしくは食べても太らなければ、どれだけいいか」と何度も思いました。
アルコールを辞められない人や、タバコを辞められない人とは違って、食べることは完全に断つことが出来ないのが本当に苦しい。
食べる事も食べない事も本人の意思でしているものなんですが、本当の意味での本人の意思ではありません。
本当は食べたいのに、食べられない。
食べることが悪い事(罪悪感)・恐怖に感じられます。
『自由に好きなだけ食べてもいい』という感覚が分かりません。
私はもう1人分がどれだけの量なのか、1食にどれだけ食べればいいのか良く分からなくなってます。
きっとカレンさんも、私と同じような気持ちだったんだろうと思います。
別に頭が悪いわけではないですからね。
頭が悪いどころが、人よりも食べ物の栄養などの知識も、拒食症に対する知識もある人が多いと私は感じています。
拒食症や過食症と呼ばれる摂食障害は、厚生労働省が難治性疾患(難病)に指定しているほど、治ることが難しいものなんです。
そして、精神疾患の中でも最も死亡率の高いのも、摂食障害。
10%の方が尊い命を落としているようです。
私の父が以前、何かの会話で拒食症の話になった時に「あぁ~拒食症なったら、死ぬもんな」と言っていました。
(私の家庭は母子家庭で、父とは離れて暮らしていたので、父は私が摂食障害者だとは知りません。)
その頃の私は「拒食症で死ぬ」という意味が分かりませんでしたが、この記事を書いて改めて、なぜ拒食症の死亡率が高いのかという事を理解しました。
拒食症になったきっかけ
拒食症になったきっかけって、絶対にこれだ!ってのはないと思うんですよね。
「この言葉がきっかけになった」というのはあるのかもしれないけど、それだけでは拒食症になる人は少ないでしょう。
拒食症になるきっかけは
拒食症になってない時
↓
他人からの評価に敏感に反応しすぎてしまう
↓
自分の価値がすごく低くなる
↓
自分に対する自信がすごく低くなってくる
↓
色んな人から自分を認めて欲しいという気持ちがどんどん強くなってくる
↓
本人がずっと気にしている事に対する「きっかけとなる言葉」を言われる
↓
引き金になる
↓
拒食症が発症してしまう
という形で拒食症になるのではないかと感じます。
(※人それぞれの部分もあるので、一概には言えません。)
彼女の場合「きっかけとなる言葉」は、兄リチャードのさりげない言葉が大きく関係していると思います。
きっかけとなる言葉
ある日、カレンはリチャードに「ねえ、お兄ちゃん。私って太ってる?」と聞いたという。
するとリチャードは「あぁ、ちょっとな」とさり気なく答えた。
その言葉を聞いてカレンは、「絶対に痩せてやる!!」と決めたという。
その頃のカレンの身長と体重は、163cm66kg(BMIは24.8)
平均的な女性は163cm58.45kg(BMIは22)
人気絶頂の1975年9月のカレンの体重は41kg(BMIは15)になっていた。
≪BMIとは≫
BMI (Body Mass Index)ボディマス指数と呼ばれています。
体重と身長から算出される肥満度を表す体格指数です。
≪計算方法≫
BMI=体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)
低体重(痩せ型) | 18.5未満 | 普通体重 | 18.5以上、25未満 |
肥満(1度) | 25以上、30未満 | 肥満(2度) | 30以上、35未満 |
肥満(3度) | 35以上、40未満 | 肥満(4度) | 40以上 |
日本肥満学会では、BMI:22を標準体重(統計的に最も病気にかかりにくい体重)としています。
拒食症になった3つの原因
拒食症は母親(の愛情表現下手)が原因と言われることが多いです。
実際に私が拒食症になった原因も母親が大きく関係していると思っています。
さすがに母親だけが100%原因じゃないとは思いますが。
私がカレンが拒食症になった原因と思ったものは、以下の3つです。
- 両親(母親)
- 兄(リチャード)
- 有名になった
原因1.両親(母親)
カレンの親は、カレンが生まれる前に、次は女の子が欲しいと思っていたらしい。
なのに、カレンは両親から愛情を受けていなかったのか?
と言われたら、それは間違いだと思う。
ただ、カレンの両親はハグといった抱きしめる行為をしない家庭だったと、後にリチャードは言っている。
でも、それが原因で「愛情表現が感じられない!」と思ったわけではないと思う。
1番の理由は、カレンの母親がリチャードの方を気にかけていたという事だろう。
それも相当、可愛がっていたようす。
何かあってはすぐにリチャードを褒めるような人だったらしい。
そしてカレンの才能には一切触れなかったとも言われている。
よく兄弟で片方が男の子、片方が女の子の場合、母親は男の子をかわいがる傾向がある。
というような感じだろうか。
ちなみに私も弟がいて、弟の方が母に気に入られています。
カレンの歌声が『素晴らしい!』と称賛された時も「でもリチャードも…」というように『カレンよりもリチャードの方が素晴らしい』と言っていたという。
きっとカレンは、母親からもっともっと愛されたかったんだと思う。
なぜなら、カレンが心理療法を受けている際、こんな言葉を母親に言ったから。
「あたしのママになってよ、お願いだから」
堪え切れずにすすり泣きながら、ずっと抑え込んでいた感情がこぼれ落ちました。
そのあと心理療法士に促され、母親が初めてカレンを抱きしめた。
ずっとリチャードばかり気に掛ける母親に『私にも目を向けてよ!』『もっと私の存在も認めてよ』っていうような強い思いがあったのではないでしょうか。
原因2.兄(リチャード)
母に気に入られていたリチャードですが、実はカレンも大好きで、かなりのお兄ちゃんっ子でした。
親元を離れて兄弟で暮らすようになったんですが、カレンはリチャードをガッチガチに束縛したようです。
リチャードの帰り時間を気にしたり、彼女と別れさせたりしたこともあるよう。
リチャードもまた、精神的に不安な状態になったことがあります。
有名になった事や、妹の事など色々なものが、のしかかったのでしょう。
カレンは、その不安定なリチャードを見て精神的に不安になったのかもしれません。
1971年頃からリチャードは、睡眠薬を飲んでいたらしいです。
4年間はキチンと飲んでいたのですが、やがて薬に対して耐性ができてしまいました。
ある時、薬を飲んで起きていると気分が高まる事に気が付いたリチャード。
それが気に入り、薬の摂取量を増やしていくようになりました。
1976年には「より効果を実感できるように」と、食事を摂らずに薬を服用するようになった。
どんどん痩せていき、180cmを超す身長なのに、体重は63kgとかなりのガリガリになりました。
手の震えでサインがうまくできなかったり、ピアノの演奏にも支障が出るほどでした。
1978年終わり頃には、1回に6錠、一晩で25錠ほど服用するようになっていった。
その頃、カレンの拒食症も悪化していました。
リチャードもそんな状態なので、カレンを気にかける事ができずに、結果的に対応が遅れてしまいました。
1979年リチャードは、会話もままならい状態になり、入院して薬物治療を行う事に。
その甲斐あって、健康を取り戻していきました。
カレンへの対応は、ここからスタートし始めました。
リチャードが元気を取り戻してからは、カレンの症状を改善するために行動をしていましたが、なかなかうまくいかなかったようです。
原因3.有名になった
急に実力のあるグループがポッと出てくると、少なくとも気に食わない人もいるでしょう。
そんな人たちが、カレンに向けて「デブの田舎者」と悪口を言ったり、音楽誌にFat Sister「太っちょカレン」と書かれた事もあるらしい。
こういう「ひがみの言葉」をカレンは無視できなくて、そのまま受け取っていました。
1970年前半には「Close to You」「スーパースター」などが大ヒット曲になり、一気に人気歌手に!
1974年にはホワイトハウスに招待されたりと、活動は絶頂でした。
そして人気が上がるにつれて、カレンの拒食症はどんどんエスカレート。
下剤や甲状腺ホルモン錠剤を大量に服用していました。
1975年には、カレンの体調不良によりヨーロッパや日本でのツアーが中止に。
拒食症が酷くなって精神的にも辛く、多忙なスケジュールで身体的にも辛い生活をしているカレン。
いよいよ限界が来ました。
同年のラスベガスでのコンサート中で「Top of the World」 を歌っている最中に倒れてしまいました。
これを機にカレンは、健康問題が深刻化しているという事を悟り、やがて医師やカウンセラーに頼るようになりました。
それまでリチャードやマネージャーなどから促されても
「危険はわかっているし自制はしている、自分は大丈夫」
と答えるだけで周囲の声に耳を貸そうとはしませんでした。
という 葛藤があるのよね。
私がカレンが拒食症になったと思う1番の原因
私はカレンではないので、何が一番かなんて分かりませんが
全部がカレンに大きくのしかかっていたのは間違いないと思います。
でも、私の個人的な意見ですが、やっぱり母親が大きなウェイトを占めているのではないかと思います。
私も弟の方が母によく見られているので「もっと私を見て欲しい」という気持ちがあります。
そして私の母も私が相談すると何でも否定から話を進め、認めてくれません。
そんな否定ばかりする母親ですが、やっぱり母に「褒められたい」って思うし「もっと愛されたい」とも感じます。
「褒められたい」「愛されたい」という思いが強いのに、母親がその思いとは反対の言動を取ると
その思いが、強ければ強いほど、寂しさの深さが深くなっていくように感じます。
カレンも頑張って活動をしていたのに、その才能が母からはいっさい褒められない。
何かにつけては「リチャード!リチャード!」というのを小さなころから感じていて、ずっとずっと寂しかったのではないでしょうか。
拒食症の人の中には、親に構って欲しい思いから
『大人になりたくない、いつまでも子どもでいたい!』
という「成熟拒否」という心理が働く人もいます。
カレンがそうだったかは分かりませんが、そのような心理も働いているかもしれません。
カーペンターズがこなした激動のスケジュール
1970年代の一番活躍していた頃は、ものすごい数のツアーをこなしていました!!
それに加えてレコーディングもこなさなければならなかったのですから、2人も疲弊しきっていました。
コンサート回数 TV出演回数
1971年 145公演 10番組
1972年 174公演 6番組
1973年 174公演 3番組
1974年 203公演
1975年 118公演 延期46回
1975年 カレンが倒れた
1976年3月、日本ツアー
3月15、16日 東京・日本武道館
3月17日 静岡市駿府会館
3月18日 愛知県体育館
3月19日 神戸市立中央体育館
3月20日 京都体育館
3月21日 和歌山県立体育館
3月24、25、26日 大阪フェスティバルホール
(3日間とも4時と7時の1日2回公演)
3月28日 金沢大乗寺山・実践倫理記念会館
3月29日 岡山市立体育館
3月30日 山口県体育館
3月31日 福岡・九電記念体育館(3時半、6時半の2回公演)
4月 1日 熊本市立体育館
4月 2日 広島県体育館
4月 5日 仙台・宮城県スポーツセンター(3時半、6時半)
4月 7日 札幌・真駒内アイスアリーナ
4月 9日 東京・日本武道館
4月10日 横浜・神奈川県民ホール(3時半、6時半)
4月11日 水戸・笠松運動公園体育館
結婚後すぐに破綻するも、いまだに既婚!?
カレンは、結婚するなら資産も豊富で、実力のある人!
と固く決めていたようです。
それに見合った人が、実業家のトム・バリス氏
1980年カレンが30歳の時に、電撃結婚をしました。
その周りの判断は正しく、翌年暮れには結婚生活は破綻。
なぜならコンサートで忙しい間は、ほとんど会えない生活。
カレンは出産も望んでいたが、トムはパイプカットをしていたことも判明。
そもそも子どもができない体だった。
それに加えて、トムは散財を繰り返していて、カレンからお金を借りる日々。
現在の価値にして1500万円ほど借りていたという。
こんな背景から、離婚の話になっていった。
そして
やっと今日離婚届にサインしよう!という6時間前、カレンは実家で倒れて、そのまま亡くなってしまいました。
これは意図的なのでは?という意見もあります。
既婚のまま亡くなったら、莫大な遺産が入りますからね。
しかも結婚してからというもの、カレンの症状は明らかに悪化しました。
トムは、バツ1で18歳の息子もいました。
もしかすると、短い結婚生活ですがトムが、カレンを肥満呼ばわりし、薬の服用をそれとなく進行させた可能性がある?
とも言われています。
著作権も含めるとかなりの資産でしょうからね。
あくまでも予想ですが・・・
両親の家でカレンの32年の人生に終止符を打つ
1983年2月3日の亡くなる前日、カレンはニューヨークからロスに帰りました。
帰った理由はいろいろ言われていて
- 母に促されたから
- カレン自らの意思
で帰ったとも。
帰った時に両親と共に食事を楽しんだらしいですが「バッグの中には薬が5種類も入っていた」と後に母が言っています。
食べた後もトイレに30分もこもっている姿が見られたようです。
4日の早朝
母がカレンが床に倒れて意識不明になっているところを見つけました。
目は開いていたが、呼吸はしていない様子。
すぐに救急車を呼び、近くに住むリチャードにも連絡。
病院で蘇生措置に全力で取り掛かりましたが、わずか20分後カレンの死亡が確認されました。
死因は急性心不全
カレンが亡くなった時の体重
体重は50㎏近くまで戻っていました。
体調は回復しているが、彼女の体の中は、もうすでにボロボロ。
体調が回復して色んな機能が活発になる反動を受けた可能性もあるかもしれません。
32歳で亡くなるのはあまりにも早く、悲しいです。
カレン以外の過食症の有名な人
- 故ダイアナ妃
- フィギュアスケートの鈴木明子選手
- 釈由美子さん
- ともさかりえさん
- 宮沢りえさん
- coccoさん
- レディ・ガガさん
その他にも国内外多くの方が発症しています。
「拒食症にならない方法」というものはないです。
誰にでもなってしまう可能性のある症状です。
言えることは、症状が現れたら早めに対処すべきという事!
カレン・アン・カーペンターの拒食症についてのまとめ
- カーペンターズは、1969年に結成された。
- カレンが亡くなったのは拒食症が大きな原因
- 拒食症の始まりは、1974~1975年あたり
- 拒食症になると、食事を自分の意志でコントロールできない
- 拒食症になったきっかけは、リチャードの1言ともいえるかも
- 拒食症になった原因は3つ(母親・リチャード・有名になった)
- カレン達は激動のスケジュールをこなしていた
- 結婚するもすぐに離婚の話になったが、いまだに既婚
- カレンは32歳で人生に終止符
- カレンの亡くなった時の体重は50kgにまで戻っていた
- カレン以外にも拒食症の有名人はたくさんいる
カレンはきっと、もっと生きたかったでしょう。
多忙な毎日ではなく、落ち着いた幸せな結婚生活をして、子どもも本当に欲しかったと思います。
何よりも、もっともっともっと母から愛されたいと思っていたと思います。
拒食症の人は、自分を表現するのが比較的苦手です。
- 周りに迷惑をかけないようにしよう
- 嫌われないようにしよう
などと思って、なかなか自分がやりたいようにはできずに、自分を抑えてしまう傾向もあるかと思います。
私もその1人です。
まだまだ自分の体型は太いと思うし、もっと痩せたいと思う。
自由に食べたいし、体重や体型を気にする自分にも飽き飽きする。
1日3食きちんと何も思わずに食べた時の体型を好きになれるようにしたい。
「どんな体型をしていても私は私。皆もどんな体型であろうと、自分に誇りを持ってほしい」
これはレディ・ガガさんの言葉です。
彼女は完全に摂食障害を乗り越えられていると思います。
私にとって、この言葉はすごく励みになります。
拒食症のあなたも、この言葉で少しは励みになれたら嬉しいです。